☆この小説は「愛と官能の美学」のShyrockさんより投稿して頂いたものです。著作権はShyrockさんが持っておられます。

shyrock作 恵 一期一会
恵 一期一会



それは偶然のことだった
私の運転するタクシーがあの人を乗せたときから
めくるめく運命のぜんまいばねが回り始めた













第4話“タクシー料金”

「料金どすか?そんなん心配せんでもよろしおす……」

 女性はそうつぶやくとハンドルを握る私の肩をトントンと叩きました。
 運転中だったこともあってほんの一瞬だけ振り返りましたが、女性は金を差し出している様子が窺えました。
 私はさりげなく、

「料金は後払いで結構ですよ」

 と述べると、女性はもう一度私の肩を叩きました。

 仕方なく私はクルマを道路わきに寄せて、ゆっくりと後部座席を振り返りました。
 女性は1万円札を数枚差し出してきました。

「そないにゆわんと、とにかくこんだけ取っといて。足らんかったらあとで払いますよってに」

 預かり金と言うことにして私は一旦受取ることにし、札を数えてみました。
 驚いたことに札は5枚もありました。
 あまりの金額の多さに私は戸惑いながら、

「お客さん、5万円もあるじゃないですか。多すぎますよ。仮にこのタクシーを1日貸切ってもまだお釣りがきますよ。多過ぎるのでお返しします」

 私はそう伝えると、1枚だけ預かることにして残りの4枚を返そうとしました。
 ところが、

「よろしおすがな。うち、さっきから、わがままばっかりゆうてるしぃ。それにまだあっちやこっち振り回すかも知れへんし」

 などといい、出した金を受け取ってくれませんでした。
 私はやむを得ず5万円を預かることにして、降車時に清算し残りを返そうと思いました。

(それにしてもこれほど気風のよい女性も珍しい。よほどの大金持ちなのだろう)

 と思いました。
 度肝は抜かれたものの、自身は、今日1日の水揚げの心配もなくなり、正直なところ、大変ありがたかったことを記憶しています。

 それにしても、女性は一体どのような理由で、このタクシーに乗ってきたのでしょうか。
 そしてどのような所へ行きたかったのでしょうか。
 やはり目的地などはどうでもよくて、とても辛いことがあって気を紛らわしたかっただけなのでしょうか。
 不可解な謎めいた女性を乗せてしまったわけですが、その謎はその後次第に解けていきました。

「運転手はん……」
「はい?何か?」
「どこか、温泉あらへんやろか?」

 ポロリと女性がつぶやいた言葉に私は驚きを隠しきれませんでした。

「えっ?温泉ですか……?」
「なんや急に、温泉行きとうなんったんどすぅ……」
「京都で温泉ですか・・・。え~と、この辺りだったら亀岡に湯の花温泉がありますけど」
「いや、京都以外の方がええんどすぅ。遠てもかましまへん。どこぞええ温泉連れて行っておくれやすなぁ」
「はい、分かりました……」

 しばらくは困惑した私でしたが、ふと兵庫県にある宝塚温泉が頭に浮かびました。
 宝塚温泉は関西のお膝元にある温泉で、阪急宝塚駅の南、武庫川沿いに多くの宿が並んでいます。
 開湯は奈良時代といわれていて、かなり歴史のある温泉です。
 一度タクシー会社の慰安旅行で行ったことを、ふと思い出したのでした。

「宝塚どすか?」
「はい、宝塚です」
「歌劇団で有名どすなぁ。温泉あるん知りまへんどしたぁ」
「とても良い温泉があるんですよ」
「こっから遠いんどすか?」
「少し時間がかかりますけど」
「かかってもかましまへん。そこ行きとおす」
「分かりました。じゃあ」


続く→

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