こんにちは、二次元世界の調教師です。ほとんどの方には、興味のない話でしょうから恐縮ですが、私にとってはショッキングなニュースがありました。
広島将棋センター43年で幕 3月7日閉鎖 故・村山九段ら輩出
私は、約40年前に広島大学に入学。迷わず将棋部に入部して、この広島将棋センターの常連となり入り浸りました。今では詰将棋専門になりましたが、当時は普通に、県代表を目指す将棋ファンでした。自慢話ですが、大学2年の時、学生将棋の中四国大会で、団体戦優勝、個人戦ベスト4。西日本大会に進出して、団体戦で準優勝した事があります。全国大会でBクラスの県代表になった事もありますし、全て「広島将棋センター」で鍛えたおかげと思っています。
この将棋センターのミニコミ紙が詰将棋を募集しており、たぶん私が最多登場の記録を持っています。その一つをご覧下さい。
打ち替えの妙
広島将棋センター43年で幕 3月7日閉鎖 故・村山九段ら輩出
故・村山聖九段ら数多くのプロ棋士を輩出した将棋道場「広島将棋センター」(広島市中区立町)が、3月7日に閉鎖される。開設から43年。ネットゲームの普及に、新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけた。席主の田儀聖吾さん(54)は「心苦しい限りだが、将棋を通じて培われた人間関係は末永く続くはず」と話している。
センターは78年に開設。村山九段は小学生のころに通って腕を磨き、がんのため98年に29歳で亡くなるまで棋士の一線で活躍した。
道場は大人の社交場だった。開設当初、中学生だった田儀さんは週3、4回通ったといい「雑多なにぎわいがあり、いろんな大人がいて面白かった」と振り返る。90年ごろからセンターで働き始め、先代の死去に伴って2003年に席主となった。多い日には50~60人が対局したという。
だが、時間を問わずにどこでも対局できるネットゲームが普及。常連客の大半は高齢者で、20年に始まったコロナ禍が致命傷になった。平日の客足は激減し、田儀さんは「将棋は負ければ全人格を否定されるような悔しさがあるが、向き合って指す機会が減ってしまった」と嘆く。
名門道場の閉鎖に、広島の棋界からは「寂しくなるね」との声も上がる。ただ田儀さんは、将棋盤を挟んで相対した人の縁は切れないと思う。「またどこかに、こんな場所ができたらいいね」。愛好者が集う社交場が再びできることを願っている。
私は、約40年前に広島大学に入学。迷わず将棋部に入部して、この広島将棋センターの常連となり入り浸りました。今では詰将棋専門になりましたが、当時は普通に、県代表を目指す将棋ファンでした。自慢話ですが、大学2年の時、学生将棋の中四国大会で、団体戦優勝、個人戦ベスト4。西日本大会に進出して、団体戦で準優勝した事があります。全国大会でBクラスの県代表になった事もありますし、全て「広島将棋センター」で鍛えたおかげと思っています。
この将棋センターのミニコミ紙が詰将棋を募集しており、たぶん私が最多登場の記録を持っています。その一つをご覧下さい。
打ち替えの妙
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