☆この小説は「愛と官能の美学」のShyrockさんより投稿して頂いたものです。著作権はShyrockさんが持っておられます。

shyrock作 恵 一期一会
恵 一期一会



それは偶然のことだった
私の運転するタクシーがあの人を乗せたときから
めくるめく運命のぜんまいばねが回り始めた













第30話“不思議な巡り合わせ”(最終回)

惠からは“四条河原町にある和菓子の老舗”と聞いていただけで、正確な屋号は聞いていませんでした。
 尋ねていれば、惠はきっと教えてくれていたでしょう。
 でも私は聞きませんでした。
 聞かない方がふたりのためには良いと思ったからです。
 でも京都までやって来ると、無性に惠の顔が見たくなりました。

(やっぱり屋号ぐらいは聞いておけば良かったなあ……)

 そこには矛盾した自分がいました。
 いくら京都に和菓子屋が多いと言っても“四条河原町にある和菓子の老舗”に限定すれば、そんなに数はないでしょう。
 四条河原町を徐行し地元の商人に聞けば、分かるかも知れません。

(でも、もし分かったとして、その後どうするの?)

 己を諌める声が脳裏をかすめました。

 いや、それより、仮に惠の店が分かったとしても、彼女が店頭に立っている保証はどこにもありません。
 店番を店員に任せている可能性だって十分にあります。
 3週間前惠との別れ際、彼女の連絡先を聞かなかったことが、今になって悔やまれます。
(もう会ってはいけないことは分かっている……でも、でも、一目でいいから惠に会いたい……)

 惠への想いが激しく募りました。
 そして葛藤する自分がいました。
 感情の激流は私の心の堤防を破壊しようとしていました。
 一方、激流を堰き止めとめようと懸命に堤防を押さえているもう一人の自分がいました。

 あれこれと考えているうちに、いつしか四条河原町を過ぎ、東大路の八坂神社まで来ていました。
 その時、歩道で手を挙げている初老の男性に気づき、タクシーを止めました。
 私は窓を開け「申し訳ありませんが営業区域外なのでご乗車いただけません」という内容を説明しようとしましたが、男性は私よりもいち早く、

「大阪まで行ってくれませんか?」

 と言ってきたので、本当はいけないのですが帰る方面でもあり結局乗せることにしました。

(ここで大阪行きのお客を乗せる巡り合せになったということは、やっぱりもう惠とは会ってはいけない、という神様のお告げなのかも知れないなあ……)

 私は少し吹っ切れた気持ちになり、ゆっくりとアクセルペダルを踏みました。
 少し走り出すと、男性は驚くべきことを口走りました。

「運転手さん、悪いけど大阪へ行く前に、宝塚へちょっと寄ってもらえませんか?実は宝塚に支店があって、そこの支店長に書類を手渡すだけなので、大して時間は掛からないので」
「え…!?宝塚…ですか……?」
「はい、宝塚ですが。何か?」
「いいえ、いいえ。承知いたしました……」

 またしても京都から宝塚へ……
 何と言う不思議な巡り合わせだろうか。
 タクシーは一路宝塚へと向かいました。
 惠と過ごした甘美な夜を思い浮かべながら……





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